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CHa-Ki 的思考回路
2013_0425:4月28日は「主権回復の日」か「屈辱の日」か
2013年3月12日の産経新聞によれば、
■「主権回復の日」式典4月28日開催を閣議決定■
政府は12日午前の閣議で、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効した「主権回復の日」に当たるとして4月28日に政府主催の式典を開くことを決定。ただ沖縄や奄美群島などは本土復帰まで米軍統治下に置かれ、式典開催に反発する声もあるという。
菅義偉官房長官は8日の閣議後の閣僚懇談会で「沖縄の苦難の歴史を忘れてはならない。沖縄の基地負担の軽減に取り組むとともに、沖縄を含めたわが国の未来を切り開いていく決意を新たにすることが重要だ」と指摘。
安倍晋三首相は7日の衆院予算委員会で「主権を失った7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調。
とあります。
さて、チョット視点を変えて、ネットで検索!
1952年という年は、ウィキペディアによれば、さらっと、
- 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効。
- 日本と中華民国の間で日華平和条約に調印。日中戦争が正式に終了。
としています。
記念日・年中行事としても、さらっと
サンフランシスコ講和記念日(日本)
1952年4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効し、日本の主権が回復、国際社会に復帰したことに因む。
条約が調印された9月8日は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」となっている。
他のサイトやブログでは、
■4月28日を、日本が国家として独立を勝ち取った日という歴史を覚えておくべきです。そして、この日を「独立記念日」として正式な祝日となるように、呼びかけていきましょう。
という安倍に近い意見や、
「歴史資料として重要な公文書その他の記録を収集し、整理し、及び保存するとともに、これらの利用を図り、もって学術及び文化の振興に寄与することを目的としている」という沖縄県公文書館によれば、
■4月28日 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)発効(1952年)
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、太平洋戦争で敗戦した日本は独立国として主権を回復しました。
その一方で、沖縄・奄美は日本から切り離され、米軍の施政権下に置かれました。
1951年9月8日、サンフランシスコ会議において日本と旧連合国48カ国が同条約に調印しました。
日本からは当時の首相吉田茂(よしだ・しげる)が出席して署名しました。
そして同条約第3号により、北緯29度以南の奄美や沖縄の南西諸島を日本の行政権から切り離し統治することが国際的に決定されました。
同条約が発効される以前、アメリカは戦時国際法『ヘーグ陸戦法規』を根拠に沖縄を占領してきましたが、サンフランシスコ平和条約と同日に『日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』(安保条約)も発効し、それによってアメリカ軍の日本駐留が認められました。
1950年代からは米軍基地の建設が本格化しました。アメリカ政府の出先機関である琉球列島米国民政府は、布令・布告を公布するなどして新規に土地を接収し基地を拡充していきました。
また、1960(昭和35)年6月23日には『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定』(日米地位協定)の発効により、アメリカ軍の日本における施設・区域や地位に関する便宜も図られました。
沖縄はアメリカのアジアにおける戦略基地としての役割が一層強化されていきました。
沖縄では講和条約発効の4月28日は「屈辱の日」として、沖縄返還運動の象徴の日となりました。
1960年には祖国復帰協議会が結成され、復帰行進や海上集会など祖国復帰運動が展開されました。
社民党・衆議院議員沖縄2区の照屋寛徳は、ブログ(抜粋)に
■4月28日は「屈辱の日」、沖縄問題の原点の日
4月28日、「ヨンテンニイハチ」は、沖縄県民にとって忘れられない日、永遠に記憶されるべき日である。
何年か前に県内の大学生のアンケートでも4月28日を知らない者が多数であったことを知り、愕然とした思いがある。
4月28日に政府が予定している「我が国の完全な主権回復と国際社会への復帰を記念する式典」は、歴史の真実をわい曲する「インチキ式典」だと批判してきた。
沖縄県議会も全会一致で「主権回復の日」式典への抗議決議を採択している。
琉球新報(11日付)によると、滋賀県知事が「主権回復とは言っても、沖縄の問題もあるので欠席」としたようだ。拍手を送りたい。
未だに「半主権国家」の日本、復帰前も復帰後も国家主権が及ばぬ沖縄の現実−。やはり「4・28」は沖縄にとって「屈辱の日」でしかない。

と書いています。別件ですが、照屋は2013年4月1日のブログに、
沖縄の人口は140万人を超えている。国際社会には人口100万規模の独立国がたくさんある。
として、「沖縄ついにヤマトから独立!」と書き、「琉球民族独立総合研究学会」に加わる意思を示しています。
これ以上書いても読者の時間を無駄にするだけですね。
ザックリ見ると、本土の人には記念日でも沖縄県民にとっては「屈辱の日」であると読み取れます。
2012年8月2日の今週の一言に、書いた通り、私に書く権利は無い!かもしれませんが、どうしてもこれだけは記録に留めておかなければと思います。
安倍がノー天気に「独立記念日だっ!」とオタケビをあげても、沖縄県民にとっては「屈辱の日!」と言われてもピンとこない、「どっちかわかんない!」。 私を含む多くの国民には理解できない(当事者ではないので)し、あるいは無関心なのかもしれません。
私は個人的にこの日4月28日を「様々なことをじっくり考える機会のための安倍からのプレゼント」として、とらえたいと思います。
いちおう、この件の私なりの結論として、沖縄・八重山日報(政治的配慮の無い新聞という意見もあります。ある意味、県民の真意?)の金波銀波2013年4月をご紹介しておきます。
■1952年4月28日は…
1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効し、太平洋戦争敗戦国だった日本が独立を回復した「主権回復記念日」。一方、沖縄は本土から切り離され、米軍統治下のまま置かれたため、県民にとって「屈辱の日」とされた◆
しかし復帰後40年を経て、今なおこの日を「屈辱の日」と呼び、政府の式典に反対する声があることに、多くの県民が戸惑いを感じている。なぜなら、ほかならぬ沖縄で「屈辱の日」という言葉そのものがすでに風化しているからだ◆
日本が独立を回復した「4・28」は、まぎれもなく20年後に沖縄が日本に復帰した「5・15」へのスタートラインになった。復帰が達成された時点で、「屈辱の日」という言葉の風化は始まっている。現在、この言葉が持ち出されるときには、当時の県民の思いとは違った、別の意図がある。それは、4・28式典の反対運動と基地問題をリンクさせようとする政治的思惑だ◆
「屈辱の日」の歴史的事実は当然語り継がなくてはならないし、県民の複雑な思いを訴えることも必要だ。
だが現在、本土の人たちに向かって「屈辱の日」だと声高に訴えることが果たして妥当なのか。
屈辱感は他人に強要するようなものではない。
県民の1人として、もっと慎ましさを求めたいと思うのだが。
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