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017 横川駅〜碓氷峠 碓氷第三橋梁(めがね橋)〜碓氷第六橋梁
横川駅なんて何年ぶりだろう?
ガキの頃の山行記録を見ると、73年と76年にここで下りている
その後の記憶からすれば(もちろん、通過は含めないで)、それ以来・・・34年ぶりということになる・・・当然、当時の記憶は全くありません。

横川といえば「峠の釜めし」。
おぎのやさんが有名ですが、せっかく横川まで来たのだから、駅前の「おぎのや」横川本店に入りました。
汽車の中で何度か食べたことがあるのですが、お店で食べるのは初めて。
駅前広場の出店でも売ってますし、街道沿いやSAにもあるし、観光バスの昼弁当にもよく使われていますので、結構たくさんの方が食べていると思います。
本店で当然のごとく釜めしを注文しました。
かなり興味があったのは、ドライブインなどで売っているのとどう違うのか?

出てきた釜めしを見てかなりビックリしました。

駅前広場で売っているままの状態(笑)。
もしかしたら、広場で買って景色の良いところで食べたほうが良かった???

めがね橋 碓氷第三橋梁 碓氷第三橋梁(通称「めがね橋」)は、横川駅から遊歩道ができていて1時間半ほどで歩けます。
径間数4。
長さ86.7m。
工事中に濃尾地震が起きてレンガ造りの建造物が倒壊した事を受け、橋脚に石柱を組み合わせたりレンガを縦に積むなどの地震対策が採り入れらました。
1894年東京地震ではアーチにひびが入り、レンガを巻く補強が行なわれました。
 

めがね橋 碓氷第三橋梁 5号トンネル アプトのギアを利用 めがね橋 碓氷第三橋梁
碓氷峠(うすいとうげ)は標高約960m。
横川と軽井沢を結ぶアブト(大井川鐵道井川線はアプトという)式鉄道が開通したのは明治26年(1893年)。
総延長11.2km、この間に26のトンネルと18の橋梁があります。
最大で66.7‰(パーミル)という急な勾配になっているところもあります。

驚くのは、着工からわずか1年9ヶ月で完成してます。
重機もない時代にこの山奥に良くぞ!と思いますが、これには2つの重要なポイントがあります。

ひとつは「殖産興業」すなわち、近代日本の物流、特に当時の日本の輸出総額の7割を占める生糸の運搬。
もうひとつ、何故このような短期間で開通させたかという理由でもある「富国強兵」。

先進諸国に対応するために近代化を推し進めれば必ず戦争が起きる、翌明治27年には日清戦争が勃発してこの碓氷線が特に重要になります。
戦争に勝つにはどうしても物流を確保する必要があったようです。
この時代に特別急いで行ったため、工事中に500名以上の殉職者を出しています。
 

めがね橋 碓氷第三橋梁 5号トンネル アプトのギアを利用 めがね橋 碓氷第三橋梁
左:下は川が流れてます。 中左:5号トンネル入口 中右:アプトのギアを利用した電線受け 右:補強工事

国指定重要文化財(平成5年8月17日指定)
碓氷峠鉄道施設 碓氷第六橋梁
アーチ径間11.0m、高さ17.4m、長さ51.9m。長さやレンガの使用量では第三橋梁に次ぐ規模です。

Wikiによれば、次のようです。
アプト式(Abt system)とは、ラック式鉄道の方式の一つ。
カール・ロマン・アプト(de:Carl Roman Abt 1850-1933)が1882年に特許を取得した方式で、「アプト式」の名称は開発者の名前に因む。
「アプト」はドイツ語読みで、アブト式ともいう。
日本の営業用路線ではこの方式によるラック式鉄道しか存在しなかったため、ラック式鉄道そのものを「アプト式」と誤解して呼ぶ事がある。
なおラック式鉄道には、アプト式の他にマーシュ、リッゲンバッハ、シュトループ、ロヒャー、フォンロールの各方式があり、いずれも現存している。

第六橋梁はたまたま通りかかって、車の通りが少なかったので1台だけ停められるスペースを見つけて撮ってみましたが、本来は立ち入り禁止区域のようです。
一番右は「国鉄 横-熊線 32号 → 高崎電力区」の表札があります。
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