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文章と映像                          2000年更新
文章を書くとき、単語を並べて文としますが、ビデオも全く同じでカット(単語)をつないでシーン(文)を作り、シーンをつないでストーリー(物語)を組み立てます。


15秒のCMでも2時間の映画でも組み立てられたストーリーが存在します。
例 題 1
  • 私は走った。
    • 文章では、いつ、どこを、なぜ、どのように走ったのかわかりません。
      映像になると表情、背景などからほとんどわかってしまいます。
      これが映像の怖さであり、また面白さでもあります。
例 題 2
  • 私は、朝寝坊して遅刻しそうなのでバス停まで走った。
    • これをシーン1としてカット割りをしてみましょう。
      1. 朝日がカーテンの隙間から射しこみ、窓の外では小鳥がさえずる。
      2. 目覚し時計のUS。そこへ手が伸びて時計を取り、フレームアウト
      3. 「うっそー」という悲鳴と共に顔のUS
      4. 飛び起きてフレームアウト
      5. パンをくわえて玄関を飛び出す。
      6. バス停に向かって全力疾走。
という6カットでシーン1が出来上がります。

実際には「私」の年齢、性別、職業等々プロフィールや季節、天気などあらゆる情報と前後のつながりがないとこのシーンの撮影は、不可能。
また、「昨日、あんな遅くまでカラオケやらなければ良かった」などと回想シーンが入ったり、回りの家族の様子が描かれたり、脚色によってカット数が大幅に増えたり、逆に@走りながら「遅刻しそうだ」と叫ぶという1カットで終わらせることも可能です。

要はストーリーの中でどういう位置を占めるかということで決まります。

[私は走った]という荒筋(構成)があって、そこへ様々な修飾語が加えられ、ストーリー(台本)が出来上がっていきます。

ここで、5W1Hが無い場合、見る側としては、何が何だかわからない、ということになります。

「きれいだ」「すばらしい」・・・などと修飾語をいくら積み重ねても文章にはなりません。
構成が出来ていないと相手に伝えることはできないのです。 

5W1Hは、企画・構成の原点です。

Station Break " 受動と能動 "  
一般的には、「テレビは自分の欲求を満たす映像と音声を与えてくれる代物。」 視聴者は完全な受動態として、自分の満足するものを与え続けてくれることを望む。能動(労働)者である制作者は与えることが義務。そこでテレビが、受動(受像)機と呼ばれるのも時間の問題か?
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